箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


>> 909

県知事代理として、郡長(明治十一年より大区長から郡長制へ)が出席した。県の祝調は学区内一同の功績をたたえ「奇特ノ義ニ付褒置キ侯事」となっている。一頓座した教育を、再度進展させるために各地区ともに、元資金の充実に力を注いだ。富田学校の状況を見るOと、学資金負債取調O。命の親(米のこと)受取簿学校諸費雑費などに、多くの人の協力の様子が記されている。このようにして、一三円七九銭四厘五毛を集めている。此の時の富田学校への文部省御配賦補助金は郡役場Oを通じて受取った。一ヶ年の額は二円五銭八厘であるが、地方税より御配賦の分九七銭五厘を除くと、一円五O三銭三厘が実補助金で、一パLセγトに満たない金額となるわけである。支払いの大半が教員給料一円九六OO銭二厘で学務委員が六円小使給料は五円器械費は一円一二銭九厘営繕費六円三二銭薪炭泊費六円諸雑費が三円七三銭三厘という出納表である。他の学校もこれと同様であった。生徒の出席状況は年間三六五日のうち、二八四日開校で八一日休校をしている。暑中休暇をとってあるが、各校とも農繁期になると生徒の欠席が多くなるため、暑中休暇を、農繁期に繰替て実施していた。学務委員及び学区会学制発布以来学校運営に関係ある機関として、世話役、主管人、執事、学務委員を置く、という変遷があった。明治十五年より学務委員についてその内容が明確になった。この学務委員は、昭和二十三年の教育委員会公布育


<< | < | > | >>