箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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奉願書南第一七区六小区中箕輪村六五番地平民大槻政雄弟右者村方富田学校教員欠乏ニ付示談之上今般別紙之通り条約取結教員ニ雇入申候間御採用奉願候以上明治十年伊那郡中箕輪村長野県権令楢崎寛直殿前書之趣相違無之ユ付奥印住候也富田学校大規亀吉執筆世話役十八年三月下下平平覚左孫右エ門外一三名右学区取締千葉廉三学区の区分と番号の変更があった。明治六年四月に、それ以前からの番号を変更した。教部大輔、宍戸理、及び教部少輔黒田清網の名をもって、「第二大学区内中学区々分番号ノ儀、別紙ノ通り相定ム」と変更の指示があった。これより筑摩県は第十中学区の第十七番より二十番となった。なお、この学区番号は同年七月に筑摩県と長野県の合併で一部を変更し、更に明治九年八月に再び変更し、同年の十一月まで続いた。学校も教員も徐々に形が整えられていくにつれて、権令の学校の巡視もおこなわれ、生徒の褒戒の方法、出席簿の記入方法や、病気欠席の場合、其の他欠席の場合は、「不参」の印をつくり押捺せよなどの指示を、県布達の形で出している。


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