箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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一のLAリハりられた家があり、桧、杉、栂等の手近に材料の入手できるものが多く使用されている。その他一建坪は二坪から四坪未満が大半を占め、四坪から六坪未OOOO満がこれに続き、一坪から二坪と、六坪以上となっていて、OOO坪数のある民家は、東箕輪地区に多い。建築年代も明治以前の多いのは東箕輪地区に多く、中箕輪、箕輪地区は明治二十年以降大正末期迄の建築が、三分の一以上を占めている。屋根の型は、切妻作りが五以上占め、ついで入母屋作り、寄OMせ棟作り等があり、屋根の材料としては、トタン、瓦、スレート、かや、割板等で葺かれていたが、現在ではトタγ、瓦で葺替されて、割板によって葺かれた屋根は見られなくなった。かや葺の家も数少なくなって、部落によっては、その姿も見られなくなり、町中でも寺院を除いて、若干という程しか見ることができなくなった。これらの住居の向きを見ると、地形、風向、道路などの立地条件に大いに影響される。伊那の谷は南北に長いために風向きも同じ方向に吹くため、風向にさからわずに東向き、OM西向きが、中箕輪、東箕輪地区では約八を占め、殊に地形の起伏や斜面の多い箕輪地区では、東向き、西向OZきが約六、士用向きが約二五克、その他一五広となっている。現在では建築様式、材料の発達によって、音程にこだわりなく、向きは自由に考えられ、宅地の最高度の利用によって考えられている。これ等の住居には、附属建物があり、土蔵、納屋、蚕室、牛舎、馬舎、鶏小屋、堆肥舎等の建物、山、池、防風樹、回、畑の施設のいずれかが組合されて、一戸を構えて、住居となっている。庭園、山町中箕輪7M箕輪:1ぷ築


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