箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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て、境界問題が再然して三区協議の結果、町長碓田重人が裁定者となり、三項目からなる協定事項が合意されて、三区長及各区一人立合人となり署名捺印され、昭和四十五年二月十九日永い間懸案であった山論問題に終Oりをつげた。植林については、明治四十五年頃より青年層の聞に植林思想が盛んで、郡、村の指導協力によって、苗聞を開設して山行苗木を育成して、毎年区有林に植栽し、造林を推進した。おししの勢ぞろい箕論南宮神社の「おしし踊」の奉納部落であって、伊那市福島と共に大泉と一年交代で奉納している。福与公民館に集合して、行列を作り、判の木の「でんでん山」で時計廻りに三周廻り木下へ向って出発するのである。沢天竜川の沖積地に集村しており部落の中央を桑沢川が流れている。南に沢端、荒井、北に井殿居、西村と分れ、明治三十年代に区有地開墾によって長田、明治四十年代に三州街道改修、伊那電気鉄道開通による沢上停留所設置により沢上が地域開発によって集落が生れた。耕地は山麓地帯に火山灰土の南原、北原の畑地と一部山沢の水によって水田があり、その下で段丘の先端迄が西天竜による水田地帯、沖積地帯北部は辰野町羽場、北大出と共同農業用水「新井」によって濯概すHる水回約二十、中央は宅地、畑、南部は湧水による水団地帯となっている。天竜川はん濫地は井肢居下で頭首工により揚水して中井堰により導水して、沢・大出・松島の水田約百十Hに濯慨している。農業は水稲を中心としており、明治、大正にかけては養蚕が採り入れられ、雑穀に換り桑の栽培が急速に実施され、広い畑地は「ねずみ返


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