箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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が行われている。昔から北小河内では、土地の良否については「長聞は半日働けば生活が成立ち、南小河内は夕暮迄、北小河内は晩迄働かないと生活が成立ない」と言われ、土地の肥沃状況を示した農民の心情がうかがわれる。製材業も明治、大正、昭和と三名の人によって営業されているが、初めは水車による丸鋸使用から電気による丸鋸、帯鋸使用と変せんしている。製糸は明治四十年から大正十二年項迄三井製糸所が三釜を操業し、松島に支庖を出し一釜の工場があり本郡屈指の大製糸であった。大正後期に@製糸所が五釜を操業したが、昭和初年に経済不況により開業してしまった。この部落にはその昔に、西光山無量寺、その南五米の位置には法華山普済寺、今の天竜川の本流には竜崎山東光寺があり見道山福田寺(宮下公民館)の四か寺があり文化財も数多くある。国宝阿弥陀如来、脇侍、宝鑑印塔、五社権現、石仏、石神も数多くあり、区民が保存についてお互いの理解により管理されている。年中行事においては小正月「だいもんじ」を建てて区民の繁栄と無事息災、悪魔退散を祈願して今日でも続いている漆戸の正月の行事がある。中村では毎年二月八日に公民館に各戸が集って、一升の米を炊いて一部を仏壇に上げて、残りは、皆で分けて家に持かえる。公民館の仏壇の前に輸を作って大珠数を廻しながら念仏を唱和して、家内安全と悪魔退散を祈る行事が行われている。OO煤煙台で知られる古式部城山及一の堀、二の掘がある砦のお鉢城山の旧祉がある。OOO山論関係が長年に渡って争われてきたが、それぞれ解決を見て、区有林として県行造林地八丁歩に落葉松、赤松、杉、桧が植林され将来の区財政に大いに寄与することであろう。南小河内天竜川の段丘地に集村し、南は沢川の沖積地東は上の平の台地より山麓となっている。部落の発展は知久氏が上の平在住の折、今の立町、町小路、山本と町割があって現在につながっていると思う。用水については、幹線水路大堰によって稲作が行われ、小地域の土地改善事業が実施されたが、大規模の基盤整備としては、昭和三十九年七月完成をした南田農業構造改善事業、昭和四十一年五月に完成をした北田農業改OOO


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