箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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て、木下、中曾根、富田、上古田、中原の共有地が、未墾地買収され、開拓が進み、一之官開拓地として集落が形成されたのである。最近では県・町の推進する住宅政策の一環として、住宅団地造成が推進され既成集落形成とは異なって、社会的要求によって、公営住宅建設、宅地分譲による住宅建設により集落が形成され、長岡住宅団地、木下北城、南域住宅団地、沢住宅団地が出現した。以上のように各部落が発展してきたが、立地条件を初め各種条件を満足させるような位置が最も望ましいが、現実にはなく、時代とともに生活の様式の変化により、時代に即応した条件を見出しつ、部落の発展を考えるとともに、先住民の居住地跡に、今日部落が拡張推進されていく姿は、やはり住居地として、現代人もそこに種々の好条件を見出し、具備されていることを発見したものと思われる。第三節町の部落町の部落が今日の位置にそれぞれ発達したことには、生活に最も適した立地条件の数多く良い所が選定され、特に自然条件の良い地形、水、日照、災害等が考慮されて住居地が定められたと考えられる。先ず西の山麓地の部落上古田、下古田、富田を見ると山を背にして風を防ぎ暖かく、水は豊富に湧水、谷水があり、比較的水害は少ないが標高の高低により、気候的の災害が多く見られる。天竜川の流れ近く、水田をつくるに最も適した場所で地下水の浅い所で飲み水が簡単に得やすい所に部落のつくられたのが北小河内・沢・松島・木下・三日町で水害等も比較的少なく、気温良好で、湧水も多く、日当りも良く、風あたりも少なく、川に近い沖積地であるため水田耕作に便利であって、交通上にも都合がよく段丘下の自然的条件の備わった所に大きな部落として発達したのである。段丘の上の部落としては大出、松島、木下の一部、南小河内、長岡、三日町の上棚、福与で部落立地条件の最


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