箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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西の山麓地の部落富田・上古田・下古田は山を背にして風を防ぎ、暖かく、水は豊富に湧水、谷水があり、比較的水害はないが、標高の高低により気候的の災害が多く見られる。天竜川の沖積地の部落北小河内・沢・松島・木下・三日町は天竜川の流れに近く、気温は良好で、水は地下水が高く、湧水も多く、日当りも良く風あたりも少なく、川に近い沖積地であるため水田耕作に便利であって、交通上にも都合よく、段丘下の自然的条件の備わった所であるため大きな部落として発達したのである。段丘の上の部落福与・三日町の上棚・長岡・南小河内・大出は立地条件の最もよい所で湧水に恵まれ、(大出を除く)水害もなく、沖積地の耕地に近く、暖い日を受ける一部段丘を背にして、乾燥もしている好条件を備えて発達してきたのである。扇一状地の部落八乙女・中原・中曾根は山麓集落と段丘の上集落の中間畑地・林地・採草地の広大に広がっている所に成立しており、中原・中曾根は用水路によって水が引かれて開発された新田集落であり、八乙女は深沢川の水が入手しやすい所に形成された集落である。河谷の部落長岡新田は沢川・一之沢川の浸蝕によってわずかにできた平地と、それに続く傾斜面の下部に発達し、水は豊富で、谷聞が風をさえぎり暖かいが反面日照条件が悪い。採草地が近く林地が近いので自給農業を営なむにはよい。明治以降においては各種の開発計画施行に伴ない、又国の強力なる施策によって集落が形成されている。明治四十年代には三州街道(国道一五三号)の改修整備と西天竜開発計画の策定により、街道沿いに集落が形成されたのが沢上である。又明治三十年代に部落有原野の貸付開畑と山沢の湧水を集水して水田造成が行われ集落となったのが長田である。大正十四年には西天竜濯概工事により、畑・山林・原野が水田と化し、生産力の増大により人口収容力の増加、営農立地条件の将来性によって、木下原町・松島春日町等の集落が形成されたのである。昭和二十五年政府の勧しようもあって、食糧窮乏の打開策と復員、外地引揚等による労働力増加の対策とし


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