箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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取扱事務は現在郵便事務・小包引受・為替・貯金・保険・各種年金支払事務・電報・電話受付事務歴代局長としては阿部保阿部雄明治四十二年三月昭和十七年十月J昭和十七年十月現在に至る第二節J電信・電話町の電信・電話明治十八年十一月伊那町坂下に、伊那電信分局を開いて、電信業務を開始した。これによって上伊那全部の電信業務を担当したのであるが、明治二十二年郵便局で兼掌するようになった。続いて明治二十三年赤穂郵便局で、二十五年には高遠郵便局で電信業務が開設されたが、箕輪地区を含む上伊那北部には取扱い局がなかった。そこで、これが電信業務の開設促進のため、各部落では、架設費として人足或は電柱を寄付した。明治二十六年一月二十日時の長野県知事浅田徳則より北小河内耕地あて、「人足参拾参入寄付奇特トス:::」という書面が残っている。当時としてはこのように、新しい施設を行うについて地元として寄付をするというような事が公然と行われていたもので、これもその頃のならわしに従ったものであろう。当然その他の部落でも、内容は異なっても、寄付行為があった。明治十七年二月、伊那郡村(現伊那市)迄の電信架設と分局設置については、地元伊那部村はもとより、南箕輪村、中箕輪村、箕輪村の有志一同が、請願して工事は六千八百円の工費を以て竣功した。OOところがこの内四、八円は現金または実物にて上納済となったが、残金二、000円は、明治十九年になっても、上納できなかった。そこで当時の郡長、伊谷締氏が仲介の労をとり、この残金を関係各村に納付するよ明


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