箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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箕輪電報電話局う働きかけたのである。結局、委員等主だった人たちは金一円、その他の人は金一銭、計O五円五O銭(上古田区二六戸〉を献納している。また、柱も個人名にて八本(九名にて〉を献納し之の不足金を現金または実物を以て各区から徴収して納付した。電話回線の変遷は、次のようである。明治四十三年十二月にあっては、平出、伊那線の中に松島郵便局分として含まれ、明治四十四年岡谷、伊那線の中に、そして順次、南箕輪、木下なども架設されて現在にいたっている。現在では、日本電信電話公社の直営としてダイヤル即時網の中に編入されている。電話回線明治四十三年十二月二十一日平出、伊那線平出、松島、伊那Lグ四十四年七月六日岡谷、伊那線|岡谷、松島、伊那ググ九月二十一日松島、南箕輪線1松島、南箕輪日L大正三年十一月六日松島、伊那線|松島、南箕輪、伊那大正六年三月一松島、木下線松島、木下電話事務の開始をしてから今日まで電話加入者の数は次のように増加している。最初は僅か一六戸の加入であOOったが、毎年僅かずつ増加し、昭和四十六年になって二、二戸加入という数になっている。電話明治四十三年十二月二十一日電話事務開始


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