箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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箕輪橋架橋について明治十六二十年の「長野県統計書」によると「箕輪橋、費途、協議費、橋質、土、長さJ三十六問、幅一問、架設年月は明治七年十二月であり、経費二三八円」と記されている。また大正五年調では、架橋大正二年十月、長さ六十八問、幅九尺、材料は板とあり、「上伊那誌」によると、大正十年、箕輪橋、天竜川架橋、長さ一二問、二一、二六七円となっている。O現在の箕輪橋は昭和二十九年十一月建造のもので、橋長九八、六メートル、有効幅員五メートル、橋種コンクリート橋である。除難地蔵尊三日町箕輪橋脇り木地蔵尊を建立した。この時工事中尊い犠牲となられた三氏のために、有志相謀って除難地蔵尊を建てた。箕輪橋架設までに尊い犠性となられた木村貞次郎、鳥山藤平氏及び白鳥今朝吉氏等の霊を慰めるため有志相計昭和二十九年十一月吉田奉賛会長発起人箕輪村長世話人県会議員篤志寄附者、知事及県議及小、中児童生徒等平那井沢須ロ光重英久徳雄十沢橋明治十三年の町村概要によると十(戸〉沢橋について次のような記述がある。この時の橋については幅六尺、長さ五十聞とあるから、この次架橋される明治三十九年度のものとくらべると、幅に於て五尺、長さで十間ほど少い。天竜川十沢橋の架橋について最初の年次は詳かでないが、松島区の東山日陰入入会権が既に元禄年聞からあるのだから、長岡区の利用度よりも、松島区の入山用道路に架けられた橋として重要であった。これ以前に県費及び郡費の補助を受けて架橋したが何年かたち腐朽したところへ明治三十九年七月十七日に洪水のため橋の一部が流されてしまった。止むなく仮補修をして一時しのぎをしていたが不便なため、全面かけか


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