箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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この中央道の完成によって東京、名古屋への距離が著しく短縮されて、関東圏へ四時間、中京圏へ三時間半となる。こうした交通時聞の短縮は、この伊那谷、箕輪町にも大きな影響を及ぼすものと考えられる。特に箕輪町には伊北インターチェンヂが沢地区に建設され、またバスストプも中原下、松島地区に建設され、これらの及Yぼす変革も大きなものがあろう。第五節天竜川の橋箕輪町にあって、天竜川は、諏訪湖より流れ出でて辰野町を経て箕輪町に流れている。箕輪町沢より松島、木下の部落の東方を南より北に流れて南箕輪村へとむかっている。この間東西を結ぶ橋として上流より沢から北小河内にむかう聞を結ぶ伊那路橋、松島と長岡とを結ぶ十沢橋、さらに南へ松島と三日町を結ぶ明神橋、木下と三日町をつなぐ、箕輪橋と町田橋との五つの橋がかけられている。昭和三十年箕輪町としての合併発足以前でも、箕輪郷として政治、経済その他いくたのつながりのあったことから、天竜川をはさんでの交通にこれらの橋の果した役割は大きい。箕輪橋箕輪橋は木下より三日町にいたる、天竜川にかけられた橋である。明治十三年時の記録には、次のように記されている。伊那街道に属す。木村(中箕輪村〉の南方木下へ架す。長田問、幅九尺の木製なり。O長さ四間ということはないであろうから四聞のあやまりかとも考えられる。幅九尺というから、牛、馬車のすれちがいさえできないくらいのものであった。橋


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