箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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えをしたのである。明治三十九年十一月十四日、時の中箕輪村長唐沢海次がこれについて補助申請をしている。当時の工費二、七OO余円といえば巨額なものであった。村費負担は一、七九五円余、県費補助六七五円余、郡補助費二七三円余によって、長さ六問、幅一一尺の橋が竣工している。Oさらに大正十年架橋をしている。この時のものが何度かの修理を経て昭和三十五年にいたるもので当時一二、完成している。この時の郡、県費補助は合計約六、000円を投じて000円と経費総額の約五を占めている。OZ「大正十年十沢橋架橋工事三月十六日起工八月七日竣工経費一万二千五百三円五十七銭内県補助三千六百五十九円郡補助二千四百六十三円村費千二百三十一円七十銭一部村税五千百四十九円八十七銭土木監督中島兵庫請負人野口舗委員藤沢今朝喜春日琢也樋口環浦野島太郎昭和二十五年災害復旧工事として橋の修理を行った。十沢橋災害復旧昭和二十五年十一月三十日着工昭和初年の十沢橋


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