箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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り、現在にいたっている。近時交通量の増加と、ともに春日街道を改修し、国道のバイパス的な存在として、幅員をひろげ、舗装して、立派な道路として工事が完成された。四高遠道(美篤・箕輪線)木下末広町木下より卯ノ木、手良、美鴛を経て高速にいたる高速箕輪線は天竜川東の重要なる道路で、古くは高遠みちとよばれ、高遠町に通ずる唯一の道であった。明治三十七年、手良村が主唱して、箕輪村、美鴛村と協力して旦道として大改修をした。明治三十九年、県道編入を請願したが認められず、大正十年郡道朝日高速線として認定された。次いで大正十二年四月一日より卯ノ木、高遠線として改名、県道に編入され、昭和三十四年八月より、美籍、箕輪線と改められ今日にいたっている。第三節交通運輸の変遷脇往還としての伊那街道は、明治時代になっても、と同じように、中馬が宿場聞の運送に当っていた。明治三年五月、県内各宿駅の問屋、年寄を廃し、伝馬所をおいて、これにかわらせ中馬の業務にあたらせた。江戸時代続いて明治四年になって、旅行や駅の便宜のために、それぞれの宿駅に、人馬相対継立法を設け、各駅相対逓


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