箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第十二章治山・治水第一節江戸時代より天竜川の洪水には関係部落民の辛苦は並々ならぬ心労であった、流路は安定せず、あばれ天竜の名をほしいま与に農耕地を荒し、一大氾濫原を形成して沿岸を浸蝕した。各部落にては、川除けを作り、土橋を架け、災害農地の復旧は村の年中行事であり、私どもの祖先の労苦は惨憎たるものがあって、当時の苦心の程がうかがわれる。天竜川の支流の帯無川・深沢川・沢川の水害もそれぞれの村の良回を押流し、天竜川同様であった。その中で明治二十六年十一月四日箕輪村が郡役所に報告した「安政以降天竜川出水調査表」によると次の通りであり、当時の状況が判明する。年月安政四年五月安政五年六月十八日水位最高観測地名二尺五寸木村字町裏二尺三寸右同断洪水前後天気模様一洪水前三日ノ連雨後ハ其一翌日ヨリ晴天トナル一四日間前ヨリ降雨翌日午一後晴被害多少其の他参考資料水JムT川口害水日日


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