箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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は壱割二分と、順次安くなっていくのである。この大出、観音講無尽は、親以下拾壱名で構成され、第一回目の取主は証書としてのかわりに、宅地五畝を担保として書入れている。第二、一二回目とも宅地、第四国自に担保畑壱反歩を入れ、この無尽帳は第九回をもって終了している。また、明治三十六年、大出、伏見屋無尽払帳によると「発起親十円掛通シ、子方十四円、花金惣割、利子発起取親除外子方割ノコト、又満タルトキハ、発起親ヲ除キ惣割」というような「さだめ」を作っている。この無尽は親以下二十四名で構成されて、初回計金二一円である。取主の次に保証人とは書いてあるが氏名が記されていない。これは知った者ばかりで略されたものであろう。こうした無尽は、長期間にわたるので、その聞に景気の良否もあれば、凶作の年もある。掛金が苦しくてかけられない者も出てくるのは当然である。掛金があつまらなければ無尽はつぶれてしまう。止むなく、しばらく無尽を休んで時期を待つようなこともあった。また、いろいろな事情から、無尽をぬけるという場合も出てくる。こんな場合、適当な者を見つけて無尽を売るといったようなこともあった。このような庶民金融として大切な無尽は、その後産業組合、銀行等、金融機関の活動が活液となって、安易に金の工面ができるようになって、無尽という組織も順次さびれていった。しかし、現在でも、旅行無尽、その他親類、近所の者、知人などで小規模に行われている。


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