箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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利用者は全部落に及び、各職業に広く利用されており、用途は、生活費、教育費、治療費が多く、義理贈答と借金の返済がこれにつづき、最低は物品代となっている。利用所帯は最高五を数えた。遺族国債の完了OOに伴い現在は約二一世帯である。O無尽のはじ,まりは古ぐ、室町時代といわれている。最近でも僅かに残っている。日無尽は、庶民金融としてひろく普及していた。その方法は、発起人が親となって仲間をあつめ、定期的に仲間が集って一定の掛金を出し合いこれ‘に対して、入札かくじといった方法で掛金をとる。一度とった者は、その後掛金のみを行なって、全部の仲間がとってしまうーと終わる。ー古えは借金の整理、J病人など困った時、親類とか知り合いの者が加わって無尽を作った下後には、家を建てるJIとか、屋根をふきかえるとか、馬を買うなど一度にまとまった金のいる時、何人かにたのんで無尽を作った。この場合、親類とか近所、知り会いなどであるから親を助けるという気持ちが強く、義理を立てるという場合も多かった。無尽の運営方法もいろいろで、第一、固には、親がとり、第二回からはくじによる方法や、第二回目以降せりによる方法、話し合いによる方法など、いくつもあった。無尽のできるもとが、相互扶助が目的であったものが、後には、利殖が目的で仲間となるような傾向も出てきた。無尽をとると、、証書を入れる。保証人が連署するといったことも行なわれた。明治十年、大出の「観音講惣徳無尽」の定めは次のようになっている。「今般、観音講無尽-一会立相企候処、連中相談之上、掛返シ初二会目迄壱割五分、三、四会目迄ハ士宮割四分、‘五、六会目迄壱割三分、七会目より終会迄ハ壱割弐分、掛銭可申候」人と記して、最初は利息として壱割五分、三、四回目となると壱割四分、五、六回目壱割三分、七回より終固まで無尽


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