箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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郡より示されたものは、あくまで指標であったので、各部落は自分達に応じた規約を作り組合を作っている。中箕輪村においては上古田貯金穀申合規約が残っており、その第一条に「上伊那郡役所ヨリ貯金穀手続書ヲ御頒布相成、本村戸長役場ヨリ当耕地限リ一区域ノ御指揮一一付:::。」とあるから、強い指導によって組合が作られ区内に批判的なる農民のいたことも窺がわれる。東箕輪村では、南小河内耕地として「儲蓄積方規約書」というのがあるから別個単独で組合を作ったものであろうし、北小河内にも「貯穀貸付ノ報告書」があるから耕地単独とも考えられる。しかしどの村々でも郡から示された準則に従って、申合規約を作ったものと推定され、上古田、南小河内等年代こそちがえ、大同小異である。上古田の規約を見ると、「当組地価金壱万弐千円、戸数八十戸アリ、毎年七月中左ノ項目ニヨリ収集シ」とあり、その収集の基準を示している。「地価百円-一付大麦三升地価百円ニ付金五銭戸数二戸ニ付金弐銭」これを上伊那郡の規約と比較すると、大麦三升は同じであるが、戸数割二戸ニ付五一銭とあるが、上古田JOでは二銭と低額である。また金穀の拠出については年々出すが、平年なればこれを蓄積し、凶作の場合は年越しにして貯えなかった。あくまで、これは備荒のためのものであるから、このような配慮がなされた。また全般的凶作の場合でなくとも貧者に貸与するというような条項もあり、一般飢餓の時は区域を限って人口割にして分貸するということも述べられている。貸付の期限は二ヶ年とし、翌年の七月収穫を以て返納すべしとあるから、現物の場合は大麦であったということがわかる。OO貯穀借用証を見ると、大麦石斗借用、利子穀として壱石に付大麦五升とある。現物ではあるが五広の利子


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