箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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開産社発足当時をふりかえってみると、各村落は均一の積立でないので、今日開産社が解散となれば、その当時の積立額に応じて、株主へ分割するのが当然の事である。このように協議決定されたので、十一月二十七日総代が出庁して、上申書を提出、郡長に面接してこの間の事情を詳細に陳述した。一♂その折に郡長の説明を聞くと、「目下財産分離するが、開産社名は依然存立しており、財産引分けと仮定するも、現金は僅少であり、証書が多額のため、その引分け処分に不都合であり、数村の内、一・二ケ村が分割を主張するも、郡内各村答弁書の多数を採り決定いたしたい」との説明があったので、一応帰村して再度協議をしたが、告示拾九号によると、旧開産社財産処分云々とあるのは、社名は解廃したものであることを確信し、過日の郡長説明との食い違いがあり、株主一同に一層疑惑をおこさせた。東箕輪村では更に十二月四日伺書を提出の折、青山郡書記に説明を聞いた所、その中にも旧開産社云々という言葉があり、旧の一字を先月二十八日付で、正誤の告示が行なわれたとのことであった。戸長役場へは今日までこの通達は届かず、配達人の遅延と認め、旧の一字ではなく、告示下文の財産処分方法であって、その処分方法を郡連合会へ委任するものでなく、株券の所有町村より委員を選出して、証書金請求及現金保管等を熟議決定することが、我が村では協議決定しているので、郡が進めている一郡共同配分に応じることと、郡会の評決を採る未定の処分には全く反対である旨、上申した。明治二十一年十二月十七日、更に伺い書を提出して、次の事項について株主の安心するよう説明を求めた。一、開産社の依然存在せる証蹟如何候哉二、開産社株金処分方法を株主の惣代にせしむるの不可なる理由如何に侯哉一二、郡長は該社分散金を引取委員村上伝五郎より御受取相成候哉、又は御願い相成候哉、如何候哉以上の三項目について明治二十一年十二月二十日、次のように回答が、樋口村外四ケ村戸長小川安積宛にあったが、戸長は争論であるため、自分は関知しないとの理由に返答書の写を東箕輪村代表者に送付してきた。その内


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