箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


>> 710

やかるものであったが、これは商庖の売出しが主であって、露庖商などのならぶようなことは少なかった。一時期、松島に対抗して露庖商を呼び集めるようなことも行われた。木下では一月十日から十一日にかけての飴市が盛大であった。これは箕輪南宮神社の祭事(三日町への遷宮)に行われたものであるが、露庖商の数も多く、近郷近在からの人出も多かった。この時には人形(だし〉が作られたもので現在にその悌をわずかに残している。この人形(だし)を出すところは、町内会、個人商庖などで町内会の場合、上町一、ごとか、仲一というような町内会で資金を拠出してかざりつけた。個人商庖では、きく屋、油屋、棒徳、島田屋などがその主なもので、商庖の広座敷や二階の部屋などを利用して、美しくかざった。だしものは、昔の武者人形が多く、菅原伝授手習鑑、太閤記など、芝居昭和3年御大典の折松島本町通りの遷宮(人による移動でなく神様自らの移動であるといわれたにあO)木下でも暮市が行われた。これは箕輪南宮神社の祭事としてのご神体松島本町の七夕祭り


<< | < | > | >>