箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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富。田商工業の状態に関しては、裁に筆を町して事新しく書き立つるほどの事は一つもない。商としては、只水をまぜたる酒、酢、醤油、駄菓子、下駄といった様な物を雑然と庖先にならべて、村の若者や少年を相手にザラ銭を絞る小売家が二軒ある。正月や何かの会合の終わりゃ、蚕時などには、夜になると一、二の酒客が流れこんで菓子をほほばり、回つくりをかみしめて、あつかんをあおりつ炉辺をとり囲んでいるのが見えLる。別に深き趣味を他に求めぬ農家の子弟には、こんな事が唯一のたのしみであるらしい。中箕輪村に於ける各種営業別ハ明治四十二年)呉服、太物商八魚商一荒物商四O薬種商五O小間物商二五肥料商七陶磁器商四鉄器商四漆器商二料理屋一四洗湯屋七明治末年ごろの箕輪町商業の状態は、次のようであって、その中心たる松島の様子はこの一文によって、そのあらましを知ることができる。明治三十三年、一二十四年頃の財界の恐慌によって松島にあった倉庫会社や製糸工場などは大きな打撃を受けた。しかしこれが苦難をのりこえて明治四十一年頃になると、その扱高一万円ほどになって上伊那、下伊那のO覇者と記している。二銀行(信濃銀行、箕輪銀行〉を経済的な基点として、商業資本は一八万円とみている。こうした状態はその頃の箕輪町の商業の中心地たる松島の様子を伝えている。これに比較して西部山麓の富田区の様子は商業活動の極めて少ないことを記している。いわゆる村のデパート


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