箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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和斤百四斤三分弐厘内七分八厘糸引引締百三斤五分四厘金九百五円替代金九百三拾円三銭内金拾四円六銭手数料金壱円仲次手数料金拾四銭荷掛小以金拾五円弐拾銭引締金九百廿壱円八拾三銭右引締金額差引書ノ内へ相加へ此表相済侯也明治舟九年一月二十日横浜市日野信太郎殿小野商会中箕輪村の商底⑪営業種目肥料販売資本金総額一二、000円(全額払込)信陽合資会社明治三十七年五月創立営業種目製糸麦酒製造販売資本金総額一二、000円(全額払込)松島薬品合資会社明治三十八年十二月創立営業種目物品販売薬品製造資本金総額一、000円(全額払込〉信陽合資会社の麦酒製造販売が果して成功したか、不成功に終ったのか詮索できないが、新産業に向う村民の姿勢がうかがわれている。明治四十二年中箕輪村の商庖等は次のようであった。荒物商が実に四軒と最も多く、次で小間物商が多い。OO商庖としては魚商一が、これについでいるが、料理屋の一四も多い。それぞれ当時の営業当主が明確でない。次で四十二年の商業の状態を記している。(「同窓」誌〉中箕輪村の中心地であった松島と西方山つきの富田との二部落の現況を次のように記している。、。松島商業過去、日清戦後一般財界の膨張は、此地にも幾多の起業と拡張主を誘起し、一時は頗る壮観なりき庫会社の如き、製糸業の如き、養畜、缶詰業の如き、、又は運輸会社の如き、一々枚挙にいとまあらず。も


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