箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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ような状態であった。た。そこで唐沢久雄、山岸節一二、中坪敬一郎三氏がこの間に立って調停の労を取りこの様子も一応一段落にむかつ明治三十九年壱月壱日ヨリ拾弐月参拾壱日入庫品このように業務内容としては不安定のことが多かったが漸く三十九年後半となって債務も僅かとO(T石V五四五七GO一一四四庫出なって明年(明治四十年)からは前途に光明を見るのきざしがあるという様子となった。この期の入庫品は上記のようである。繭については単位がしるされているが、その他の物は、はっきりしない。玄米、R大豆、籾などは俵単位であろう。この頃既にラングIン米の入庫のあったことは驚きである。次にかがけたものは当時松島倉庫株式会社において横浜市、小野商会との売上書である。私売とあるは国内用のことで宛名は当時の重役(社長?〉日野信太郎氏となっている。その頃の中箕輪村の諸会社は次のようであった。明治三十九年十二月三十一日現在(上伊那郡中十七会社のうち)山王製糸合資会社明治三十四年四月創立一一8一(第九O二号〉一印紙一LOL---「和売て器械生糸第一回ヨリ七回ノ別弐梱但三拾士宮括合大大玄台蘭3雑割染品T豆籾湾貢J嫡溺計粕豆米1米米貨英糸名売一総三8二8入上、、書六六七一庫九三二四四五九五日O三O九四六二回一O合四高一総四五O2O五一四九二九四六二Oー高一一九九五CO-OO08四00


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