箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


>> 699

こうした商品の流通拡大化にともない、これ等商品を一時的に収蔵する倉庫業が上伊那地方にもはじまり、松島倉庫株式会社が設立された。明治三十九年に於て第八期とあり明治三十七年二月に第七期報告とあるから、二年一期とも考えられるが、多分はっきりした営業期というものが定っていなかったであろう。従って創立年ははっきりしない。資本金二万円(内払込八千七百円)という、当時としては、大きな資本金で発足し、主として生糸などを取扱った。明治三十七年二月の第七期決算報告で見る限りは極めて順調な営業内容で純益三、二二二円余をあげ株主配当年一割六分をしている。また役員賞与にも一五二円をあげ、堅実な営業であった。ところが戦勝の三十八年後の経済変動により、さらには、近隣の製糸工場の倒産などが重なって内容は一転不振となった。従来の生糸中心から、米、大豆、雑貨等までも取扱い範囲を拡げたが、到底営業内容を改善することがむずかしかった。第八期営業報告書〈明治三十九年一月一日同年十二月三十一日〉によると株式四百株(一株三十円〉であって株式売買譲与総数百三十二株であり代価一株十二円以下とある。当然額面よりずい分と低価である。このことだけからしても、営業内容が低調であったと思われる。この年一月三十日株主定期総会を開いて前期営業成績を報告し利益金分配案ハ実際には利益金はなかった〉をJ議決している。そして重役の選任を行い、次の諸氏を選んでいる。取締役目野信太郎(重任)千葉胤孝(重任)千葉長吉(重任〉黒木左エ門〈重任〉原靖雄(重任)監査役原善雄〈重任)千葉胤雄(重任〉市川重松(新任〉営業の状態としては、製糸家の事業失敗による倒産などがあり、その業務ははかぽかしくなく、重役諸氏は鋭意つとめたけれどもなかなか業績はあがらなかった。加えて倉庫株式会社の株式総会で異議を唱える者も多く飯田地方裁判所へ検査役の選任を要求したり、株金の返還払戻しを要求して、重役の財産さしおさえ等を計画する


<< | < | > | >>