箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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食道営。宿業四名。古具一名。致器東箕輪村米、質中にして出来高多からず、自用の余、諏訪郡へ輸送し、又甲州へ送る。大豆同断、煙草、藍葉、大麦、石灰、清酒、梨子、柿、梅等自用の外隣村へ融売す。」松島・木下の商家明治初年松島には商家が数多くあったと思われるが具体的な資料に乏しい。松島門屋資料によると旅龍屋の部松島として日野信男外二十氏ほどをあげている。この人達全部が旅寵屋を営んでいたものかどうかは詳らかでなまた木下の明治初(五J七〉年諸商鑑札願下書によると人力車一名、小間物四名など次の如くにあげている。菓子の項に()内に出売あるいは受売などの字句が見られ、出売とは背負って行商したことで、受売とは他の製造元からとりよせて小売したものである。Oこれ等の数を総計すると四名余となり、洗湯、紺屋等も合わせると六名近い数で、商家軒をつらねというOことになるのだが、実際にはずっと簡素であった。この中現在にいたるまで、売る商品こそちがってはいるが、商家として続いている家もある。「諸商鑑札願(下書)。人力車一名。水車三名。質屋三名。洗湯一名0茶。魚。洋物。古着。劇場貸衣裳。岩石採取三名四名四名七名三名一名。。O00粧古紺煮菓小鉄間商物屋売子物四名九名(受売、出売〉四名三名三名一名L-


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