箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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いた農民運動は、農民組合の結成となって力強く発展した。そして昭和二十年十一月東京において「全国農民運動者懇談会」が聞かれ、全一国的統一農民組織結成の方針が決定され、この機運の中に中箕輪、東箕輪その他郡内の町村に農民組合が結成されたのは昭和二十年暮から二十一年春にかけてのことである。こうした中箕輪村農民組合の中心となって活動したのは中坪寅、中林仁一郎等で二十二年二月の県農地委員選挙には、農民組合から小作層代表として中林氏が当選した。当初農民組合の闘争目標としては次のようであった。123456耕作権の確保、農地改革の徹底的断行供出の民主化、天下り割当反対農業会の民主化農業課税の軽減農民組合法の制定民主戦線の統一促進こうした農民組合は、その後農地委員会、(その後農業委員会)農業協同組合等に代表を送ってその目標とするところの実現に努力した。その後、農民組合は上部の分裂、農地改革に伴う自作農化による充足感などによって弱体化への途を進んだ。OO現在箕輪町農民組合は構成員約二名といわれている。箕輪町農民連盟中箕輪農業協同組合内に中箕輪農民連盟として発足した。東箕輪及び箕輪も殆ど時を同じくした昭和二十五年頃のことである。この農民連盟は農政が農民を救う道だという根本的な考えから、その後米価闘争の中核となり、強力にその運四


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