箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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多のトラブルを生んだが、自作農化への大きな道を開いた点では、成功であった。昭和二十六年農業委員会法ができて同年八月、農業委員の選挙が行われ、それまでの各種の委員が全部廃止となって、農業委員会一本となって、農業全般についての仕事をしている。現在の農業委員会は委員二五名が三つの部会にわかれて構成されている。農地部会農耕地の改廃移動などに関すること。農政部会農業政治に関すること。農業振興部会農業振興についての施策に関すること。箕輪町農業共済組合中箕輪農業共済組合は、昭和二十三年に設立された。これは昭和二十二年に農業保険法と家畜保険法が統合整備されて、農業災害保険法として出発したものに伴うもので、東箕輪及び箕輪もほぼ時と同じくして発足していはじめは農業協同組合と表裏一体というような関係で事務所も農協内に設置されたが、その後、町へ移管され昭和四十年よりは町役場内に農業共済課として事業の進行にあたっている。農業共済制度とは農家と国が共済掛金を出し合って共同準備財産を造成しておき、いざ災害があった時は、この共同準備財産をもって被災農家に共済金の支払いをするという農家の相互扶助制度である。箕輪町共済組合では農作物(主として稲)蚕繭、家畜果樹の四部門をもち昭和四十八年度総予算額六、七OOOO万円余、災害補償額二、五万円余となっている。農民組合昭和二十年八月の終戦を期に、占領軍の施策もあって労働組合の組織化が進められた。一方戦前地下に潜んで


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