箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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ともいわれる時で、中箕輪産業組合としても充実した時期である。その業務内容も貸付金、貯金等をみても漸増の一途をたどり、特に大正十四年から昭和五年にかけては、組合員の増加とともに急激に増加している。また諸物資の購買高もふえ、農業資材はもとより、生活用品の一部も取扱っている。また販売、利用の面についても、その額の増加を見、また剰余金についても、出資金に対し七%弱をあげている。黒字経営ではあったが、少額であったことがわかる。加入組合員数は、約三五%程度であった。それが昭和十年及び十一年になって一、四O二名と急増し、当時の農会々員数約一、九OO名の七O%を超えるほどにまで膨張している。この時期は全県的にも産業組合の黄金時代昭和初年にあっては組合員数六OO名前後であって、その頃の中箕輪村農会々員数約一七OO名であるから、四昭和期の中箕輪産業組合借入金は吉江銀行松島支底の当座預金借越普及定期借入金とも年度を通して五千四百九十八円七十八銭にして八月十日に於て全部償還せり低利資金の借入金は三月九月の二期に於て規定の償還をなし残額二千百九十二円九十九銭となれり。購買物品取扱高は二千四百五十五円にして前年度に比し百八円余の増加に過ぎずして経済界の打撃は産業用と生計用とを問わず梢低きに終われり。付帯事業にありては本組合記念産業奨励規程に依り田麦作、春夏桑園の各農場調査会を聞き適当の時期に於て実地に就き奨励委員をして審査せしめたり。奨励委員会を聞き養蚕組合設立を計画し組合員中希望者四十八人を得、て蚕業教師を轄し蚕種の共同催青共同稚蚕飼育及巡回指導をなし春夏秋の三期を通じてその成績良好にして従来の夫れに比較して数歩を進めたために、華客の賞賛を受くに至れり。尚蚕繭共同販売は郡役所斡旋の下に数段の高価に売却し蚕種共同購入については、養蚕組合と連絡をとり最も廉価に共同購入をなしために蚕種仲買人に利益を得しめざるに至れり


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