箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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中箕輪村産業組合現況|明治38年|グ43年!大正4年|グ9年|グ昨|昭和5年|グ10年L組合員数7人67125389592688出資口数40口1772478801,3891,483出資金800円3,540941898902,52,80083,34088,980払込済出資金2∞円2,93529,92761,986,83,690諸積立金4653,2119,33816,98527,422{昔入金44,51066,480貸付金3,42511,07114,79542,168125,995107,09541L貯金2,0607,40323,566101,360139,361121,43購買高74円3,7772,074.13,10595,67594,13770,839販売高134,528ω,61O7D1利用高1,6941,558剰余金8円1795949695,6275,6963,852五箕輪村産業組合の沿革箕輪村の産業組合と農業会の沿革は次の通りである。昭和二二年一一月一一一日箕輪信用、販売、購買、利用組合として箕輪村役場内に設立グ一七年九月肥料共同配給所建築昭和一九年一一月米穀倉庫(政府保管米)建築グ二年六月松根油工場設置グニ年九月利用部建築(倉庫の前)OOグ一二年四月原金平氏宅より宅地一一畝歩買入グ一一一年一O月正門々柱建設(寄贈)グ二一年一一月鍛造工場設置すグ二二年一月松根油工場廃止、電球工場設置グ二二年八月旧事務所西方に移転工事グ二三年四月現在事務所(当時購買部)建設この間、産業組合法による、箕輪信用、販売、購買、利用組合より農業会となり(昭和十九年)さらに二十三年になって、これが母体となって、箕輪農業協同組合が発足したものである。これらの変遷は、内容的にはほとんどかわらず建物もそのままで名称は改められ、漸次変貌をしていくという形だったので旧名称がいつまでも残った。農家の人たちは産業組合が農業会


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