箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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ー「O野鼠駆除(下古田、沢〉また大正十一年には、水稲の採取圃を沢区に三ケ所及び下古田に設け品種を畿内早生、女渋、中島坊主等を播種している。その他水稲種子の配布等も行っている。これは畿内早生、白橘等の新品種を郡農会より有償にて配布を受け試作した。この結果水稲の品種選定は多収穫のために、非常に重要なことが改めて認められ、今後一一層の採種聞の設置を促進すべきことが報告されている。その他、農家副業に関する講演会、上古田堆肥組合の連合品評会、水稲採種圃並びに栽培方法についての研究協議会の開催などを行っている。また大正十年から十一年にかけて皐魁があり、その聞の事情を次のように報告している。一早魁ノ害昨年五年以来早魁続キノ為、本村-一於テモ耕作不能ノケ所アリ、尚挿挟平年-一比シ非常ニ遅レ七月五、六日頃漸グ田植ヲナシタルケ所合計一五町歩ノ余ニシテ、之ガ応急方法ニ就テモ密植一株ノ本数増加、中打励行硫酸アンモニア其他速効肥料ヲ与へ生育促進等一一付再三注意ヲ促シ、指導奨励ニ努メタル結果、其後濯漉水不足ナルニモ不拘、相当ノ収穫ヲ為シ得タリ具体的に、どの部落で、どの地籍ということは、わからないが、一五町歩余の被害とあるから、当時としては(西天開目前〉被害は大きかった。このための対策も応急的に行っているが、今から考えるとその技術の稚劣さがうかがわれる。数も二九となり、組合人員も三八O人となっている。これらの支部(小組合〉でも予算を立てるようになった。大正十年ごろになると中箕輪村農会の各支部の活動もようやく活穣になり、その下部組繊としての農事小組合そのうちのひとつ木下支部の補助申請書を見ると項目として、次のようなものがあげられている。金七円弐拾銭也苗代害虫駆除石油代金拾六円五拾銭也練炭器代


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