箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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至富田至木下⑪大正館製糸場見取図25K揚返L工場4K(再繰ヱ場)1JF国向E4日刊山従業員は中曾根をはじめ近隣の上古田・中原・木下・大出・大泉・大泉新日・吹上等の出身であった。なお工女に支払った一年間の一人平均は一一一円OJ一一二円位であり上位で二O00円二五円位下位は六円七円位、中には罰があJOOJOるので赤字になってしまう者もあったようである。繭の集荷については主として理事があたり、場所は旧西箕輪村一円から南箕輪村西部、上古田・中原等であり、早場ものは県外の静岡市場、愛知県のはぐり市場等から生繭を買った。生糸の年間生産量は二こおり位、輸出用で十四中を主Oとし、昭和に入ってからは二十一中も製造した。売先きは横浜の生糸問屋で市原商庖・井上商庖等であった。燃料は主として松葉を用い一駄(六把)二O銭位で買入れたが薪・石炭も少しは使用した。薪は近隣の人々が駄馬につけてくるものを買とり石炭は赤穂の北沢次郎から購入した。賄については、米は木下のかねやま商庖から購入し、副食は主として木下のしまだや等から購入し、野菜は庭男(雑役〉が年間八畝(八アール)の野菜畑を作り、漬物用野菜の大根や莱は適宜購入してまかなった。以上でその頃の製糸経営の形態がほ父わかると思われるが、⑥大正館製糸場の施設配置の見取図を示すと上図の通りである。DU4K~詔5C2


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