箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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向山巻雄一釜位箕輪生糸販売組合組合長向山治雄O矢沢市街唐沢重土口(竜西舘)二四釜柴宮文古田従業員一人以上O丸山平八一二釜田中久応(従業員数一小出、「一一一凱人)語唐沢権九郎従業員一一一人4唐沢光司二釜OOO小林貞吉(大正四年木下へ移転〉会下平政一一一一J一一一一釜⑮箕輪館株式会社組織六O釜ず社長官下源次郎資本金三万円株主数凡そ二ハ人O株式会社組織八四釜資本金六万円株主数凡そ一人OO中曽根北小河内@大正館社長小林豊士口下古田宮田田三井米次郎二釜人4OOO従業員凡そ二四ここで注目しなければならないのは、富田・松島・中曾根等に出現した株式組織の製糸場であって、富田の⑮製L糸場は、個人経営であった赤沼久雄の製糸工場を使って、富田を中心に中曾根・上吉田・吹上・羽広等の養蚕農家が相はかり、出資をしてはじめたものであり、なお上戸・中原・大泉新田・大泉・松島等の養蚕農家が若干加入している。このうち中曾根・松島の株主たちは間もなく脱退して、それぞれの地に工場を作るのであるが、この株主達は産繭額の多い農家であって、個人営業製糸に繭を売渡すより、自分等の手で工場を経営し、生糸として販売七、利益を更に多くしようというねらいからであって、富田では箕輪生糸販売組合という名称を用いており、初代組合長は向山治雄であった。組合製糸のはじまりといえるのである。松島では三沢喜芳を赴長に南小河内の小林石夫を専務にして菌製糸場が設立され、松島、長岡、南小河内の産繭額の多い養蚕農家が中心となって、富田の@製糸場と内容が同じような経営をしている。かしこの組合は組合員の生産した繭ばかりでなく他の養蚕農家からも繭を購入して生糸製造をしており‘この点では営業製糸的な内容も多分に含まれていて、後に出てくる中箕輪信用販売購買利用組合中竜館のように組合員のみの産繭処理を心たものとは少しく趣をことにしているのである。Iこの種のものでは、大正六年創業、昭和四五年にかけて工場を閉鎖廃業した中曾根@大正館につい'て記して中ググ大グ沢グ原出D


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