箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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「第一善良ナル蚕種ヲ選定スル方法第二当年ノ春蚕ハ思ハザル時季一一発生シ又ハ充分発生セザア、其原由ヲ説明シ併セテ目的ノ日限一一発生セPシムルノ方法如何第三掃立方法種々アリトイヘドモ、諸君経験ニヨテ其ノ良法ト認メタルモノノ説明ヲ乞フ第四チヂミコハ如何ナル原因ヨリ発生スルヤ、又コノ病蚕ノ生ゼザル方法第五光蚕ハ如何ナル原因ヨリ生ズルャ、之ヲ防グノ方法第六ホシコノ生ズル原因、之ヲ予防スル方法第七ウミコ、フシタカハ如何ナル原因ナリャ、之ヲ防グノ方法第八木郡ニハ如何ナル桑ガ適当ナルヤ」等であって、当時の養蚕の問題点が窺われる。まだ経験主義的な飼育法に頼る者が多く、方法はまちまちで暗中模索の状態であった。その後蚕種製造法の改良、ホルマリンによる蚕室、蚕具の消毒法等の普及により、蚕病は次第に減少した。養蚕教師の巡回指導養蚕技術の歴史を大まかに分類すれば、ω明治末期までは、謂わば伝統的に相伝された時代伸明治末期から大正初期にかけてが、蚕種業者が伝達した時代付特約組合の養蚕教師によって伝達された時代村総合製糸による農協技術員によって伝達された時代のように時代的には分類される。松島養蚕組合では、大正五年の夏蚕から、伊坪重作技術員が養蚕教師として、養蚕家の巡回指導に当った。普通養蚕家はどこでも、育蚕部門は主婦、栽桑部門は主として男子が分担していた。養蚕技術の実行者ではあるが、講演会や技術講習会には消極的な主婦も、この養蚕教師の直接巡回指導は喜んで受け入れた。蚕の先生に対する信頼度は極めて高く、直接指導によって養蚕技術はよく浸透した。松島養蚕組合では、大正七年十月、伊坪Y


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