箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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ー「明治7年村別蚕種掃立量|掃立枚数|掃立戸数訳20.8枚61大出25.2庁78八乙女5.91118下古田7.2//28上古田12.9グ50中原8.01120富田18.3グ45中原20.8//36松島88.91170木下70.9//93三日町1.5118福与20.6グ42長岡7.6//49南小河内11.9'/66北小河内7.7庁40704|計|山|かである。規則により製造した蚕種紙の裏にT1戸平均掃立量紙0.47枚万をはるかに越したことは明らかである。しかしそのすべてを小林弥九郎が製造したものではなく、別掲の蚕種製造業者等が加わったであろうし、掃立てを委託した蚕種の原種が町内のものより、上回、諏訪方面の業者の製造したものが多いことから、そちらからの委託がかなりあったことも十分に考えられるので、町内での確かな製造量は、推定が困難である。明治八年の町内製造量は、次によりほぼ確官許の印紙を貼ることになっていたから、印紙の申請量でその年の製造量がわかる。明治八年蚕種御免許印紙見積取調書付筑摩県管下信濃国伊那郡木下村蚕種世話役小林弥九郎組内右ハ明治八年製造蚕種原紙並印紙御見積書面ノ通御座候、右ノ外組内蚕種ノ分相洩候者御座無侯間前紙明約表相添差出申候御規約ノ通リ夫々下渡願奉侯也L....


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