箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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1224412810261112124グ蚕業KK岐阜県A庁上汐上田伊T那大正大正十十秋夏春秋夏青熟×国産欧七号黄飛白×国産支四国産支一号X飛白青熟X大白竜風穴不詳国産欧九号黄又土日XグT上回国産欧七号国産支七号貴X国産日一号×大諸桂白国産日一号国産支四号X国産日一七号×国産支一一号国産支四号黄OOXXX青熟信州飛白白青熟国産支一O一号信州飛白×支一O一号支九号X信州飛白×国蚕支四号国産支九号X京都大成館上田T上伊那蚕業邸諏訪飯島諏訪HKN上伊那蚕業社O青熟×大紹×一八号人工勝化表の通り蚕種も業者も実に多種多彩である。養蚕家としては、より良い蚕種を求めてのことであろうが、同一品種の繭を入手したい製糸工場側から、品種統一を望む声が高まった。中箕輪村では、大正十二年に蚕種整理奨励のため、県蚕糸課から講師を招いて講演会を聞いたり、ポスターを配布するなどして蚕種整理をすすめた。何種類を奨励したかは明らかではないが、市川家の場合、十三年には「日一号×支四号」ほか一種十四年夏昭和J三年まで「新白×正白」のみに整理していることから、蚕種整理は順調に進行した模様である。突配種が出始めたのは大正六年だが、一般に普及したのは、「本年度ハ在来種ナルモノハ世間殆ド皆無ニシテ、至ル所交配種黄色沢山ナリ。」のように大正九年からである。上伊那蚕種業史によれば、明治後期以降上伊那郡内で掃立てられた蚕穫は、次の通りである。


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