箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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蚕種原種を飼育していること、また、古老の話でも、南向村より早くから蚕種が入ってきていたということからで、この推定にほぼ間違いない。勿論、このほかに自家製の雑種も飼われていたであろう。いずれにせよ、明治初期の蚕の種類は、割合少なかったようである。明治中期では、二十一年に上古田の、全養蚕家が、「小石丸」を飼育しているが、全町的に「小石丸」が多かったかどうかは不明である。明治十三年上田町で聞かれた第一回長野県蚕糸共進会には、前記四種のほか、後年まで飼われた「又昔」など三八種が出品されるなど、蚕の種類は急増していたから、全町的には種々雑多な蚕が飼われていたと考えた方が妥当であろう。明治三十年以降は、蚕種需要の激増につれ、研究の結果新品種も増えたが、製造家の中には、新を競って各自勝手な名称をつけたものもあったため、同一品種で異名のものも現われる状態で、養蚕家は各自好みによって撰択したから、全町的には多種類の蚕が飼われたのが実態である。大正以後の蚕種大正八年の調査によると、春蚕種だけで二千余種、夏秋蚕種を合わせると三千余種に及ぶ有様で、実に種々雑多な繭が生産されていたことは、次の一養蚕家の実態から十分に想像できる。某家使用蚕種一覧表大正秋一不詳年春春期X一赤熱国産欧九号黄X一国蚕白一号国産支四号白一赤熱×国産欧三号由一国産欧一一一号×赤熱白一文昔×国産欧九号黄一短蚕×国産飲六号責X一赤熱国産欧一ニ号由一代交雑種蚕4248上塩グ上田尻田T蚕グT種KK4134信グ上州国蚕グT業KK種枠数製造業者


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