箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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上古田耕地の蚕掃立量(明治21年〕夏蚕(小石丸〉春蚕(小石丸〉掃立量|掃立戸数O.120.210.25120.410.516O.7O.7521.061.52.012.51計26枚44戸四書によると上古田には、唐沢喜三雄家の年間収繭量約二貫を最高に、十貫以上の収繭農家が四戸ある。農家経営の中心となった養蚕夏蚕掃立総収繭量129.4斗春蚕掃立総収繭量101.1斗OOこの報告書によると、同年の上古田における養蚕戸数は四六戸で、飼育した蚕種はすべて「小石丸」であった。春蚕と夏蚕だけで、秋蚕は飼育しておらず、掃立量等は上記の通りである。他地域では、一般に夏蚕より春蚕を多く飼育しているのとは逆に、夏蚕が多いのと秋蚕を飼育していないことは、高冷地という気象条件によるものであろうふμこのように、養蚕規模は家により、地域によって差があったが、代表的な養蚕家を中心に、徐々に盛んになってきたのが、明治中期の養蚕業の実態であろう。明治後期の養蚕業明治三十年代になると、養蚕家の収繭量は飛躍的に上昇している。前掲細井家では、三十年代に繭代が急増しているし、上古田唐沢家でも三十五年の桑畑六反三畝を三十九年に一町二反余に増植している。また松島の市川業修、八十士ロ等も三十五年には一町三反余の桑畑をもち、四十年代には、年間平均百貫以上を収繭


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