箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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また、福与細井文師家の金銭出入帳によると、「明治四年、繭代、金三両三分二朱三文五年ググ金五両四分八年ググ金三両」と記載されていて、同家の養蚕は繭年一二貫を売る程度であったことがわかる。この二資料からみて、明治初期の養蚕も、まだ江戸時代に続いて副業程度の微々たるものに過ぎなかったことは疑いない。古老の話によると、桑は作畑の畔や境に植えた「畔桑」や「境桑」で飼育していたようである。しかし、副業とはいうものの、当時の物価は、左表のようであったから、TT


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