箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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飼い方も蚕種は自家製、桑は山桑か畔'桑、土族にはモミのもやな令どを多く使った原始的なものだったようである。畔桑中心の副業的養蚕モミの木利用の上族O明治初期の養蚕業資料がなくて、この時期の当町養蚕業の全貌を知ることはできないが、次によ一ってほぼ当時の状態が推察できる。明治三年午歳繭買入覚には、六月九日孫右衛門殿春夏蚕繭三百弐拾目二分二朱土一一百文百二十五匁弐拾六匁代さし銀金相相済済のように記帳されている。上伊那の他村や下伊那地方からも繭を買入れており、当町としてはっきりしているのは次表の通りである。繭買入覚帳代第8章蚕糸業繭買入帳〈明治3年〉抜粋貿入月日|部落I氏名|寅数|代金6月4日三日町不詳69匁銭3∞文5日福与村惣右衛門364グ金1両と銭583文ノア富田村清‘右衛門293グ金2分2朱と銭269文8日福与村伝T=:;:)J郎9101/金2両1分と銀1匁5分大出村11不詳2貧30711金6両3分と銭453文9日富田村久二郎26711金2分2朱ググ久蔵1貫325グ金3両2分と銭312文グ中曽根村民右衛門13311銭580文グ大出村繁右衛門1貫210グ金3両1分11日福与村藤三郎1貫69511金3両1分と銀2匁5分言十I8貫5∞匁I21両3分2朱30文細井家金銭出入帳


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