箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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水路には大舗を張ってとる。笹を引く折、赤魚、鯉、鮎等ははね上り逃げるので沢の人達は舟を使って水面をたふきながら逃げないように追込んだもので、雄壮、活発な魚穫方法は他に例がない。ごる引き天竜川に浅瀬の広い所、が多かった頃に行われた方法であった。大きな四つ手網をあてLLおいて、荒縄にぎしぎし小石を挟んで、縄の両端を二人で遠くから引寄せながら四つ手網に魚をおいこめば砂泥鮪、よなが一度に二、三合もとることができた。石積み(諏訪湖ではやっかと言う)夏の内に天竜川の流れのゆるやかな一位の深さの処に一坪以内の石をM積み置くと、その中に魚が集る。それを寒中周囲に費の予をはりめぐらして、石を取除き中の魚をそっくりとってしまう。かじかうけ鰍筆二、三月頃になると、かじかが流れを遡上する習性を利用しての魚法。ざ流れの急な段地になってL(いる処を〉の川岸を選び、浅瀬に柳の校で作った粗末なのぼり筆を伏せておくとかじかがとれる。話野き「これは寒中水の澄んだ快晴無風の目、魚の動作の鈍いのを利用して行われる。九尺も二間もある柄のついた銘で、深い処を静かに泳ぎ、或は静止している鯉など突刺してとる方法である。泥舗どじょうとり昔から箕輪町附近は池、沼が多く、沼田等は泥鮪繁殖、せいそくには好適地であったからである。七月に二番灰汁(石灰)をうつのだが灰汁のきかない泥の中のものは生残ってどん/¥繁殖し、九月の落水期には泥鮪筆といって径十糎、長さ二十糎の小笠を伏せておくと、稲の根が張って棲みにくLなった泥婚が、川を下るためにたくさん入って、泥鮪笠を三十も伏せると一晩で一貫匁程もとれることがあった。L九月、十月の候には、小川で「つき」が行われ、四つ手網や「せLり」をあて、おき、上流から二本の棒でこまめに川底をつ・ふいてゆくと、一度に一合位はとれた。やがて水が無くなった沼や川の泥を手で堀ると、冬ごもりに入っている泥鯖がいくらでもとれる。うるう掴み魚がうろう(空穴)にかくれているのを手で掴みとるのであって、誰にでもでき、案外獲物がとれる。


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