箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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昭和八年五、二二二円昭和九年五、四七三円加えて工業の著しい振興により工場排水の増加による河川の汚染は年を経るに従って増加の傾向にある。こうしたことから魚の量も激減し、放流鮎の成長なども少なくその漁獲高も減少している。中箕輪村にあっての漁業生産高(水産物価格)は次のように記されている。これについての内訳は不明であるが、専業者も少なく、またこれをまとめる市場といったもののなかったことから、概算であったと思われる。昭和二十三年における中箕輪村漁獲高は次のようである。〉ーにーふあうぐい、い五貫OなゆTまやO五貫わかさぎうなぎ鯉養殖一、三貫OOまた、東箕輪村にあっては、昭和二十四年には、漁類四九貫と記され、箕輪村では、昭和二十三年には、鯉OO養殖一五貫と記されている。この頃の、漁業者の専業及び兼業の状況は次の通りであった。中箕輪村(昭和二十二年)専業箕輪村(昭和二十三年)同二同六L兼業二東箕輪村(昭和二十四年)同不明同不明箕輪町となってからの漁業(養殖〉漁獲高は次のようであるが魚類についての内訳ははっきりしない。養殖漁業については、養鱒が行われるようになったので、その漁獲高であって、昭和三十二年の数字は、極めて少ないが、その理由は詳かでない。


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