箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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一年あるいは二年くらいでこの放流は終了したものと思われる。明治・大正の漁業天竜川漁業では沢から松島北部にかけてが、その中心であった。これは、魚の棲息しやすい湖が多かったのも最盛期で、佃煮風に煮付けて、ゃな箕輪橋下の築冬期の食繕をにぎやかにしてくれたが、額その一因であろう、特に天額竜川の屈折して南に向った融機川が東に向う、広瀬(松島譲北部)は、箕輪町に於ける議最もよい漁場であった。こ懸葉の頃多くとれた魚は、赤畿の魚、鯉、鮎、うなぎ、なま懇下ず、さすり、かじかなどで鱗橋あり、鮎など放流しなくと藤沢も、天然鮎が上って来た。緩十文、天竜川の砂の堆積した謬個所には、しじみ、かわに議らが繁殖し、石には、ザザ懇ムシ、青虫、マゴタロウ虫騒が、生息して、十二月初旬震より二月末頃迄が、採取の町の川筋では、護岸工事による、河床整-Vる。


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