箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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満ナル解決ヲ告ゲ将来異議ナキ為、本書五通ヲ作成シ:::」となった。大正七年から十五年までの間分割作業の進まなかったひとつの原因として、霧沢山にかかわる中箕輪村の部落有財産の整理統一ということもあげられる。これは霧沢山分割にともない、中箕輪村取得分約八百一町歩を村有とするため、各部落の共有財産(主として霧沢山)を村有財産として統一し、その林野に対しては従来の入会その他共同使用の慣行を廃止するというものである。この手続きを行ったのが大正十二年五月のことで、関係各部落は次のように提供している。沢桑沢山大出前山、南沢八乙女日影山下古田日影山上古田中原松島木直四国田下三十二町六反歩二十一町四反歩四町八反歩九町四反歩二十町四反歩七町四反歩七十九町六反歩六十二町六反歩十四町四反歩これにより村有に統一した林野は、その三分のプを森林外に区分し、その森林の外、面積の三分のこを村内一般の緑肥採収地に使用し、残り三分の一を沢、大出、八乙女、下古田、上古田、中原の六部落の緑肥採収専用地とした。こうした村内の体制づくりに手間どっていたことも、分割について原則は決定したものの、具体的作業の進まなかった一因であろう。最終的には、大正十五年一月二十九日において一切の分割作業は終了したことになる。各村の取得面積(台帳面)は次のようである。骨


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