箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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そこでこれら入会山の権利をもっ各村はこれを民有地に引戻すべく書類を整え願い出ている。これは次のように民地引戻許可通達によってその多くは民有地となっている。この書類で見ると臼向入の面積(二千三百五十町歩)がもっと多いはずであるから、日向入の大部分については、この後何回かの民有地回復の願をして明治二十七年七月の宣告となった。明治十二年八月七日付を以て東箕輪村では時の長野県令楢崎寛直宛に字日向入山、字日陰入山両山之内成蹟証書として次のように書類を提出している。第壱号一、文久三亥年村内取極連印帳壱冊外六通第弐号一、寛文十二子年諏訪郡ト取替手形壱通外七通第参号一、明治三午年十三郎ヨリ差出ノ一札壱通外七通第四号一、天保三卯年村方入用書上帳壱冊外九冊第五号松平丹波守御預所一、信濃国伊那郡長岡村高反別小寄帳外二冊これらを「前顕之成蹟本書今般御取調-一付御預ケ置候也」としている。これが民有地引戻しに大きな手がかりとなったものである。民地引戻許可通達租常第二千百六十一号


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