箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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聞いたのであるが、部落関係者及び植林希望者が五十四人の多数が参集して聴講し盛大であったと、村会へ事務報告がされている。同年五月には、福与区においては県設苦闘より赤松苗三万五千本を受け、山出苗七千五百本を部落共有山へ極林し、残余二万五千本は小苗の為、区では首床に移植して育苗に努めた。区では村の補助を受け、引続き苗床を設置して育苗につとめ、植林をした。引続き大正二年四月には、郡より公有林植栽のため二万本、私有林植栽のため一万五千本の扇柏(槍のこと)苗の下附を受けて、福与、三日町の両区へ一万本宛分植をした。更に同年県から、杉苗一万本、アカシヤ苗五千本の下附を受けて、杉苗は両区の区有林に植栽し、アカシヤは砂防用として保安林所有者に分配して植栽した。現在「アカシヤ」の自生地が、福与、三日町に至る所に見受けられるが、大方が当時の保安林の砂防用として、植栽されたものと考えられ、各部落に多少の差はあれ散見されるのがこの時期に植林されたと思う。大正七年中箕輪村においても、造林事業の緊急必要性を認めて、富田区青年の有志に依嘱し、移植苗圃七畝歩に落葉松二万本と、播種苗圃二五坪に肩柏五升を播種苗圃を設置した。山行に適するものは村内公有地植林に無償配布した。この頃の森林には、個人持林には美林が多く、区有林等には雑木林が多く、疎悪林にして放置し、良好なる素材生産がないので、各村がようやく公共地に植林を推進するべく努力があらわれてきた証拠だと思う。その後においては法律等の改正により、山林経営の方法も変化して昭和三十四年頃迄は町有林、部落区有林、財産区有林等には官行造林(営林署が行う)、県行造林(県が行う〉が行われて来たが、昭和三十五年以降は更に法の改正により公団造林(今迄の官行造林に変って森林開発公団が行う〉、公社造林(今迄の県行造林に変って県森林公社が行う〉が実施された。今後地域社会にあたえる影響は大きなものがありその意義は、期待される処である。落葉松の適地植林地としては、長岡区有樽尾沢入口の美林は県行造林地として、模範的なものである。


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