箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第6章林業町の林業箕輪町の林野状況を見ると、総面積の四七・一%、四0・二四平方粁にあたり、上伊那郡の林野の占める割合は七九%である。明治、大正を通じて山林経営に対する行政指導は渉透せず、一部の区を除いて山林は財産的考えは稀簿で田の肥料とする苅敷山として必要であった。特に徳川時代より入会山等に関する諸問題をか与え、官有林編入、入会山分割、境界設定等の重要問題をか与えた東箕輪村の苦脳は大変なことであった。民有地回復の訴願は村民一体となって明治十年十月より明治二十七年七月十日迄の十七年間に渡る行政裁判所での勝訴宣告になる迄、再三却下されながらも、忍耐強く村民一同が団結協力して民有地に回復したのである。明治においては、山林、原野に植林することの進展をみなかったその原因は、当時の農業経営上最も重要である肥料、飼料用の採草地を失うことが農民にとって最大の衝撃であった。特に学制発布による学校建築費には、各村々は多額の資金を必要とする為、学校林を設定し、撫育に努める一方、村では林業講習会等を開いて愛林思想養成と苗木育成に力を入れ、部落区有林に植林の必要なことを勧奨してきた。明治四十五年三月八日には、当時箕輪村役場では「林業講話会」を聞いて、郡林業技師によって講話を第六章第一節山林林業


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