箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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は、大正十一年に朝鮮牛の即売あっせんが行われた十一月二十日以降である。即売あっせんは五頭であって一頭平均百四十五円であった。朝鮮牛(黄かっ色)はω粗食にたえ、ω管理が容易で、ω性質が温順、歩き方が速い等の利点、が農家においては、馬に入れかωわって役畜として、農耕用の価値が認められ、戦前は相当数が飼育されていたが、戦後は農機具等の進出、乳牛への転換によって、厩肥生産にしか役立たないことが飼育者に認識されて、減少の一途を辿り現在では、その姿を見ることもできなくなった。和牛畜力利用についても、農業会が主体となって研究されてきたが、箕輪村では明治三十九年四月に勧業奨励のために耕作改善に力をいれ村費によって和牛を買入れて、牛耕による水田耕起から代かきの講習会を聞いた。この頃は牛の飼育は少く、沼地の多い箕輪村の勧業に対する積極的なる姿勢がうかがわれる。指導講師として上伊那簡易農学校の巡回教師を招いて、村内有志者多数の参加を得て町一義の水田において技術を習得してもらった。この結果は予想以上の成果を上げ農業進展のため、又湿団地帯の畜力利用に馬にかわって牛の利用による農業経営の第一歩として大きな成果があった。大正、昭和初年とその後あまり導入飼育されなかったが、昭和九年頃より県の指導があって、各産業組合が役肉兼用で肉の質量共にすぐれた黒毛改良和牛導入を積極的に推進した。農家に対しては、無償にて貸付けされて,、二年間飼育して販売するが、組合は購入費及び販売手数料を差引朝鮮牛によるしろかき作業


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