箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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いる人(仲介入)があって、その人の口添えによって売買の成立ということも珍らしくなかった。農用時など軒先に馬を引いて来て話し合い、談合の上売買するのがならわしであった。乍恐以書付車中際上候明治五壬申年正月伊那郡上古田村百姓源六右之者農間稼馬売買付去来年御印鑑頂戴仕商売仕侯処猶又当申年右商用仕度旨願出侯元年内馬六疋程之売買ニ御座侯問何卒御印鑑御下ケ渡ヒ下置様奉願上侯以上この源六なる人は、明治七年馬売買で鑑札を返納している。きないという理由からである。また年代は少し後のことになるが、上古田区では明治二十三年に八=玖いたとある。約二十年近い歳月のへだたりあるにせよ木下と上古田と比較すると上古田の方が多かったと想像される。勿論戸数は木下の方が多い事を考慮に入れてのことである。伊那郡上古田村願人源六百姓代字平組頭幸七名主喜俵筑摩県御役所」七四才余となって到底その仕事を続けることがで「上古田馬頭数調一、栗毛女馬二頭一、鹿毛女馬一頭一、女馬一頭一、鹿毛女馬一頭一、青毛女馬一頭明治二十三年四月現在唐沢勘左エ門唐沢四方吉岡人唐沢藤左エ門唐沢治三郎一、栗毛一、鹿毛一、鹿毛一、栗毛一、芦毛等総計女馬二頭女馬二頭女馬一頭女馬一一頭女馬一頭馬八十一一頭唐沢字平唐沢治兵衛唐沢民弥唐沢利八同人L-この頃(明治十一年)この近辺にも牛馬等がいたことは、この年、第十七大区長の日野香々彦よりの達しがあり、この中につ::::村々ニ於テ馬医志願之者等弁営業人中へ::::・」の文があるので推察される。江戸時代にあって牛馬等の医即ち獣医の存在したことは明らかである。


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