箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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す」といわれて試作の程度であったが、だんだんと品種も改良されて昭和になると多くの農家で自家用として栽培されるようになった。戦後は、生食用のトマトの生産が多くなり、その生産額も、昭和二十八年中箕輪町栽培面積三町一反、収量二四、八貫となっている。昭和四十五年収量一七、OO000ヶIス、一、二万円である。OOさらに近年、伊那市の株式会社カゴメの加工工場が開設されるにつれ、加工用トマトの栽培がさかんになっている。その収量も二、四となり販売金額も四、二万円となって畑作野菜の中で大きな位置を占めるよOOTOOうになった。これはトマト栽培上の気象条件がよく、生育、着色ともに良好であり、さらに換金野菜としては、高収益をあげられるなどの点からである。東箕輪、長岡地区を中心として野菜作りがさかんである。特に田無川沖積層なる長岡の畑地は根菜作りに適しているので、人参、ごぼう、ながいもの栽培が多い。近時これに加えてキャベツや白菜などの出荷栽培をしている農家も少くない。昭和四十八年ながいも生産(見通し〉額は二四、000切であり販売額で四、二万円と野菜中では最高OOO少をおぎなっている。栽培地は長岡及び一ノ宮である。第三節果樹栽培の概要果樹を庭先や土手等に植えて自家消費をしたり、柿のように秋には干柿として加工して販売していた事は大変古くから行われていた。柿、栗、梨等では百年以上の樹令のものが各所に見受けられる。その外では胡桃、杏、桃等も相当古いものもある。然し果樹を栽植して園とする様になったのは余り古くからでなく昭和の初期に輸出中心の生糸産業が化学繊維の販売実績である。広い面績に栽培するので、ほりとりにはポLトレンチャーなどを利用し収穫に昨今の労力減


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