箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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れ、その種類の多様化とともにその栽培も漸増するものと考えられる。トマトの作られるようになったのは大正中期である。はじめの頃は、強いにおいが嫌われ「きちがいな加工用トマトの栽培状況昭和48年疎菜類生産昭和27年箕輪町疎菜(見通し〉及び販売実績作付面積及び生産高種類|生産額|販売額白莱285,000KG1,000万円レタス22,000105グ大根120,0002,40011人参90,0001,000グ長いも250,0004,300グ馬鈴薯440,0002,100グ生食トマト3,2001511加工トマト2,4∞,0004,200グ(中箕輪町、東箕輪)村、箕輪村の合計種類|作付面積|生産額なす3町4反7,950貧きゅうり3町8反16,9∞グぎちゃTヵ、8,200114町6反274,3ω庁|だいこん12町4反ごTぎう4町5反16,4伽にんじん2町7反7,98似|キャベツ19,250グ3町8反17,290113町0反白菜55,970グっけな13町7反16,700グ6町7反ねぎ


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