箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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裁一園芸作物明治時代に栽培されていた野菜は、人参、ごぼう、ねぎ、茄子、唐がらし、菜、大根、瓜、夕顔、南瓜、馬鈴薯などであった。これら、それぞれの生産額はわからないが、明治三十五年に中箕輪村では読菜類生産高計一九、三七二貫と記されている。昭和二十七年中箕輪町では人参、ごぼう等で計約三五、貫と比較すると約半分くらいである。この頃の野菜はその種類も少なく、極めて限られたものばかりであった。現在広も続いて栽培されているが、新しい野菜としては明治初年に馬鈴薯がはいったくらいのものであった。000一副到到劃創到則一戦後における箕輪町全体の野菜栽培の様子は上記のとおりである。-001ム一明山花一一これより見ると戦前と比較しての著しい特色は、新しい野菜の導入栽培が見らMMMMM覧一回叩一れる。即ち昭和二十七年の白菜、キャベツの栽培の普及、さらに昭和四十八年のωMMMMMM1111IL--J培寸一レタス、トマトなどの増加である。戦後アメリカより輸入栽培されたレタス、ァ、カリフラワー、こもちかんらん等箕輪町にもその栽培がL一スパラガス、セロリ薯一別引反反日創宍一令一一定着して自家用くらいは菜園で間に合わせる家庭も多くなった。紘一昨咋昨昨持昨昨一昭和二十七年にあっては、野菜を自家用として栽培するのが殆どである。東箕単一和(明233334一輪村にあってはごぼう一町九反を作付して一、七貫を収穫しているが長岡OOOILLI--の根菜類栽培のあらわれと見ることができるくらいで、倍、だいこん、っけな、など漬物用としての栽培が殆どであった。昭和二十七年と四十八年と比較して大きな変化は、野菜類が自家用から換金作物への転化である。四十八年の生産額は自家用を含めた総量であり、販売額は自家用を差引いたものを示している。今後食生活の上で米食の割合が少なくなり、副食の増加という点から、主要野菜の需要は一層増加すると思わ%UMMMNUQOOONUNU五


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